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私たちの細胞内では、DNAがヒストンというタンパク質に巻きつき、クロマチンという高次構造をとることで、必要な遺伝子だけが働くように制御されています。このクロマチン構造を動的に組み替えるのが「クロマチンリモデラー」(※1)と呼ばれるタンパク質群です。その一つであるCHD1は、がん抑制や幹細胞の分化制御に重要な役割を果たしています。これまで、前立腺がんなどでCHD1の遺伝子変異が報告されていましたが、CHD1がどのような分子機構でがん抑制に関与するのかは不明でした。また、CHD1が一定の構造を持たない柔軟な領域(IDR:intrinsically disordered region)(※2)を有し、脂質膜に包まれずに液滴のような凝縮体を形成する性質があることも、これまで知られていませんでした。
金沢大学医学保健学総合研究科医学専攻博士課程の塚本康寛、がん進展制御研究所/ナノ生命科学研究所(WPI-NanoLSI)の酒井克也准教授、新学術創成研究機構/医薬保健研究域医学系の西山正章教授、ナノ生命科学研究所(WPI-NanoLSI)の福間剛士教授、古寺哲幸教授、松本邦夫特任教授らの研究グループは、CHD1のC末端IDRが液滴状凝縮体の形成に不可欠であり、この凝縮体の中にRNAやエピジェネティック因子(※3)が効率的かつ選択的に集積することで、遺伝子発現のON-OFFが適切に制御されることを明らかにしました。また、IDRを欠損した変異型CHD1では発がん関連遺伝子の異常発現と腫瘍形成が起こる一方、IDRを回復させることでこれらの異常が抑制されることも確認されました。
これらの成果は、CHD1がIDRを介して液滴状凝縮体を形成し、その集合体が遺伝子発現制御および腫瘍抑制に不可欠であることを初めて示したものです。本研究は、クロマチンリモデラーが「相分離」という物理的原理に基づいて機能するという新しい概念を提示し、がんにおけるクロマチン異常の理解に新たな視点をもたらしました。
本研究成果は、2025年10月30日に英国発行の国際学術誌『Nature Communications』オンライン版に掲載されました。
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図1. CHD1の構造的特徴と凝縮体形成の可視化
CHD1タンパク質をHS-AFM(高速原子間力顕微鏡)で1分子レベルに観察した結果、N末端、C末端、中央部に柔軟で構造が定まらないひも状領域(IDR)が存在することが明らかになった(A)。がんで頻発するE1321フレームシフト変異では、このC末端IDRが欠失する(B)。細胞核内では、IDRを介してCHD1が液液相分離による凝縮体を形成することが観察された(C)。さらに、in vitro で精製したCHD1をHR-AFM(高分解能原子間力顕微鏡)で観察すると、凝縮体は厚みのある柔らかな円盤状構造をとることが示された(D)。本図はTsukamoto et al. (Nature Communications, 2025) 掲載図を改変したものです(CC BY 4.0)。

図2. CHD1凝縮体に依存して結合するタンパク質とその意義
CHD1の凝縮性に依存して結合するタンパク質群(A, ピンク)には、遺伝子の活性化や抑制に関与するヒストン修飾関連タンパク質(B)が含まれていた。その中でもASH2LはKMT複合体の構成因子であり、KMT酵素の変異はCHD1変異を有するがん症例で有意に共起することが確認された(C)。これらの結果から、CHD1とKMT複合体の協調的な機能異常が発がんに寄与する可能性が示唆された。本図はTsukamoto et al. (Nature Communications, 2025) 掲載図を改変したものです(CC BY 4.0)。

図3. CHD1の凝集能は遺伝子発現制御と腫瘍抑制に必須である
CHD1が自ら凝縮体を形成する性質(凝集性)は、遺伝子発現を制御するゲノム上のプロモーター領域への局在に重要であることが示された(A)。がんで頻発するE1321フレームシフト(fs)変異によりC末端IDRが欠損したCHD1を発現するヒト前立腺がん細胞は、発がん関連遺伝子の異常な発現プロファイルを示し(B)、ヌードマウス移植モデルでは腫瘍の増殖が観察された(C)。一方、欠損したIDRを回復させると、腫瘍の増殖および発がん関連遺伝子の発現異常が抑制された(B、C)。本図はTsukamoto et al. (Nature Communications, 2025) 掲載図を改変したものです(CC BY 4.0)。
【用語解説】
※1:クロマチンリモデラー
DNAとヒストンからなるクロマチンの構造を、ATPのエネルギーを利用して動的に再配置する酵素群。クロマチンの「パッケージング状態」を変化させることで、転写因子やエピジェネティック因子がDNAにアクセスしやすくし、遺伝子発現、DNA修復、染色体複製など多様な核内プロセスを制御する。主要なファミリーとして、SWI/SNF、ISWI、CHD、INO80などが知られている。
※2:IDR(intrinsically disordered region、構造が定まらない領域)
タンパク質内で安定した立体構造を形成せず、柔軟に動く領域。高い柔軟性を活かして、分子間相互作用や多価結合を介した凝縮体形成、シグナル伝達、可逆的な相分離などの動的制御に関与する。
※3 エピジェネティック因子
DNA配列を変えずに遺伝子発現を制御する分子で、ヒストン修飾酵素(ヒストンアセチルトランスフェラーゼやデアセチラーゼなど)やDNAメチルトランスフェラーゼなどが含まれる。クロマチン構造や転写活性に影響を与えるほか、細胞分化や発生、環境応答、がんなどさまざまな生理?病理現象に関与する。
ジャーナル名:Nature Communications
研究者情報:酒井 克也